Book Meter

読書の記録。読みっぱなしは勿体無い。

哲学のすすめ 岩崎武雄

~~~ 突然の哲学書 ~~~

 なぜ哲学書を手に取ることになったのかというと、本当は夏休みの暇を持て余してついに”ロジックさえちゃんとしていれば小学生でも解けるが、非常に頭を使う問題”を解きたいという謎の欲求に駆られたからである。で、論理といえば野矢茂樹野矢茂樹といえば哲学。論理の前に哲学に触れておこうと思い哲学書に手を伸ばす運びとなった。

 さて、この本。ガッチガチの哲学書というわけではない。

出版した講談社曰く

教養は万人が身をもって養い想像すべきものであって、一部の専門家の占有物として、ただ一方的に人々の手元に配布され伝達されうるものではありません。 ー中略ー もっぱら万人の魂に生ずる初発的かつ根本的な問題をとらえ、掘り起こし、手引きし、しかも最新の知識への展望を万人に確立させる書物を、新しく世の中に送り出したいと念願しています。

 とのこと。要するに難しいことを誰にでもわかるように書いてまっせ、ということである。確かに読んだ感じ非常に分かりやすい。比較する対象としてはおかしいかもしれないが、素粒子論の入門書よりはるかに日常的でわかりやすい。そして著者は読者に「原理的な価値判断をするべし。それこそが万人が無意識に持つ哲学である。」とのメッセージを投げる。私ももれなくそのメッセージを受け取りました(たぶん)。

 というわけで読んでる途中に考えた、塩野七生の歴史家としての振る舞いについて整理したいと思う。

著者によれば価値判断は2種類あるとのこと。

 ①原理的な価値判断

 ②具体的な事物についての価値判断

例えば、「Aさんは誰にでも優しく、正義感があふれているから善人だ」と考えるとする。これは②に該当する。「誰にでも優しく、正義感があふれている」という具体的事実に基づいて「Aは善人である」という価値判断を行っている。

では①は何なのか。それは「誰にでも優しく、正義感にあふれた人は善人だ」と判断することだ。個別の事情を鑑みるわけではない。前提としてそこに立っているのである。これこそが原理的な価値判断に該当する。②については2次的な価値判断に過ぎない。そして①こそが哲学なのだと。

 話は逸れたが、塩野七生について。歴史は紛れもく学問の対象である。しかし歴史家はただ時系列に出来事を叙述するだけなのか?否、それでは学問とは言えない。では歴史を学問足らしめる要素で欠かせないものは?答えは哲学である。歴史家の持つ、哲学。そういった意味で塩野七生は歴史を通して塩野七生の哲学を著書で雄弁に語っているのだろうと思う。誰が史実に基づいていない、奴は歴史家ではないと批判しようとも彼女はれっきとした自身の哲学に基づいた歴史を述べているのだ。

 

 なんの考察なのかわからなくなってしまったが、とりま哲学の門を叩ける本である。